平成オタク文化と反米右翼思想:第1回――平成は遠くなりにけり
「戦後、日本は常に彼の国の属国だ」
「戦後は続くよ、どこまでも。だから、諦めるんですか」
『シン・ゴジラ』より
『奪還のロゼ』が熱い。
上映日程の発表は今年の春ごろだったろうか。ギアス新作の知らせを聞いたときの感情は喜びよりも不安が大きかった。脳裏をよぎったのは評価の冴えない『亡国のアキト』*1、そして色々な意味で近年最大のネタロボアニメと化した『境界戦記』*2だ。『コードギアス』といえばロボットアニメ史上に燦然と輝く大傑作。そして無数の「フォロワーなり損ない」を生んだ罪な作品でもある。『ギルティクラウン』や『アルドノア・ゼロ』のような何とも言えない作品がまた生まれてしまうのか? いや、しかし……え、ディズニープラス独占? 正気か?? もうダメだ……。
だがバンナムは成し遂げた。
『奪還のロゼ』は掛け値なしの傑作だ。ギアスの面白さの核を的確に拾い――これ自体、過去にどんなアニメも達成できなかった偉業だ――ながら、現代的なキャッチーさとテンポ感をブレンドし華麗にまとめ上げている。今のところ全四幕のうち三幕まで公開されているが面白さは衰えることなく……どころか加速し、興収も毎回伸びている。短期連続公開の映画という形式を考えれば驚異的な実績だ。配信がブリタニア資本独占なのを除けば完璧な仕事と言うほかない。
特に素晴らしいのが主人公・皇サクヤのキャラだ。ホッカイドウの領主・皇家とブリタニア帝室という二つの青い血を引くWロイヤルであり、ホッカイドウを占領したネオ・ブリタニアから同地を奪還、日本人を解放するために戦っている。

設定は明らかに本家におけるルルーシュを踏襲している。『コードギアス』のスピンオフやメディアミックスがパッとしない理由としてこれまでシリーズの「ルルーシュ依存」が挙げられてきたが、それを踏まえたうえで新たな物語を作ろうとした結果だろう。この試みは現在のところ成功している。また性格や立ち振る舞いには『亡国のアキト』のヒロイン、レイラ・マルカルの影が見える。本作がシリーズ二十年弱の集大成であることがよく分かる。
さて先述のように皇カグヤは日本×ブリタニアのハーフ。そしてギアスでハーフといえば紅月カレンだ。ツンデレ担当かつパイスー担当、そして枢木スザクと並ぶ作中最強格という属性てんこ盛りな造形で惚れた人も多いだろう。『奪還のロゼ』最新第三幕のあるシーンなどは日英ハーフヒロインの由緒ある伝統の存在を想起せざるを得なかった。

要するに『奪還のロゼ』のサクヤはルルーシュでありカレンであるわけだが、ここで微妙な問題が生起してくる。それは戦う動機という問題だ。『コードギアス』本編を履修した人ならわかる通り、ルルーシュとカレンの戦う動機は根本的なところでズレている。そしてこのズレこそが『コードギアス』のエンタメ性の「核」と言っていい。では、この「核」は『奪還のロゼ』においてはどうなっているのか……。ようやく本題に入ろう。本題とはずばり『コードギアス』の思想性についてだ。
本家ギアスをよく知らない人のため、まずは以下にあらすじを貼ろう。
皇暦2010年8月10日 、世界唯一の超大国神聖ブリタニア帝国は日本に宣戦布告。その圧倒的な国力と人型兵器ナイトメア・フレームにより瞬く間に本土へ侵攻した。結果、敗戦した日本はブリタニアによって占領。「エリア11」と呼称され、日本人は「イレヴン」と蔑まれ支配された。
7年後、日本に住むブリタニア人の少年・ルルーシュは、謎の少女C.C.から、他人に自分の命令を強制出来る力「ギアス」を授けられる。彼は暗殺された母親の仇をとり、妹のナナリーが安心して暮らせる場所を作るため、仮面で素顔を隠して「ゼロ」と名乗り、対ブリタニア・レジスタンス組織「黒の騎士団」を結成。日本人を率いてブリタニア帝国に戦いを挑む――。
Wikipediaより。著者の手により一部改変。
一読して分かるように極めて政治的な世界設定だ。悪逆非道で覇権主義的なブリタニアは明らかにゼロ年代前半当時のアメリカ合衆国をモデルにしているし、占領され差別される日本云々という設定も日米安保、延いては戦後日本の対米従属を想起させる。そして本作はこのブリタニアに対し「革命」を仕掛ける物語である。ついでにいうと、「黒の騎士団」の序盤の戦術は分かりやすくゲリラ的だ。こうした理由から、放送時より『コードギアス』には左翼アニメという評価が存在する。疑うならTwitterで適当に「ギアス 左翼」で検索してみるとよい。こんなツイートがゴロゴロ出てくる。
最初期のコードギアス、オレンジ事件が起こるぐらいまでは「まーた左翼TBSの反米アニメかよ」みたいに言ってた人がちらほらいたような気がする
結構前に2chスレのトラウマアニメ・漫画・画像スレで現れた「ギアスを左翼アニメだ!」とか言ってた政治厨及びネトウヨはほんとうに死んで、どうぞ
自分はリアルタイム視聴世代ではないしネットに初めて触れたのも放送の数年後だ。それゆえ当時のネットの空気感は想像するしかないのだが、こうした評価の論理自体は理解できる。『コードギアス』が左翼的であると指摘される根拠は、大きく次の二つに大別できるはずだ。
- 反体制
- 反米
並べてみると極めてシンプルだ。現代日本において反体制と反米が左翼の概念であることは自明に思える。少なくとも右よりは左であると言ってよいだろう。そして上述のツイート群を見るに、当時のネット世論でもこの認識は現代とそう変わらなかったはずだ。
本当にそうだろうか?
実は『コードギアス』には左翼アニメという評価だけでなく、右翼アニメであるという評価も存在するのだ。次の文章は大澤真幸がこのアニメを若者の右傾化と結びつけて語ったものである。
今、オタク的な若者たちの間で 「コードギアス 反逆のルルーシュ」 というアニメが爆発的な人気を博している。テレビの深夜枠の放送後などは、インターネットで大変な反響が寄せられ、この世界では「新世紀エヴァンゲリオン」 以来の大ヒットといわれている。このアニメの主題は私が見てもナショナリズムだ。
突っ込みどころの目立つ文章ではある。『コードギアス』が『エヴァンゲリオン』以来の大ヒットかと言われるとかなり疑問だし、後述するように本作の「主題」は明らかにナショナリズムではない。だが大澤の主張には見るべき点もある。主題ではないかもしれないが、『コードギアス』には次のようにナショナリズム的要素が濃厚に含まれているのだ。

この道具立てから天皇制*3と神風特攻隊を想像しないのは難しい。これらが風刺的に扱われているのなら左からの表現だと言えなくもないが、作中で「日本万歳」は明らかに真面目に扱われている。『コードギアス』は右翼アニメなのだろうか?
結論を先に述べると、自分は『コードギアス』は優れて右翼的な作品であると考えている。
そもそも天皇や特攻を持ち出すまでもなく、本作は日本独立を描いている。これを右翼的と言わずしてなんと言おう。しかし、ギアスは反体制的で反米的な作品だ。それと右翼性がどう両立するのか。そう問う人もいるかもしれない。簡単な話だ。反体制も反米も左翼の専売特許ではないのである。というより、歴史的に見て反体制的な右翼も反米的な右翼も特段珍しいものではない*4。反体制について言えば、戦前昭和の日本では軍部と民間の右翼層によるテロルとクーデターが頻発していたし、最近も自民党政権に批判的なネット右翼層が盛んに政治運動を行なっている。本連載(予定)で取り上げる反米についても同様の指摘ができる。
ここで少し補足を入れておこう。もちろん、右翼も左翼も極めて多義的な言葉だ。時代と地域によって真逆の意味を持つ場合さえあるし、同じ時と場においても論者によって用法が違う。ここに真のスコットランド人論法やレッテル張りが混ざってくると、まともな議論などおおよそ不可能になってしまう。しかし、なお、それを理解したうえで「平成期の特定のオタク作品群を反米右翼思想から考えてみたい」というのが本連載(予定)の趣旨である。
話を戻そう。反米と右翼の関係については、むしろ非自明視される現状自体が極めて入り組んだものだとさえ言える。日本帝国を敗戦させた国はアメリカ合衆国である*5。愛国的であるはずの右翼がなぜ親米たり得るのか。それは戦前と戦後では右翼にとっての「敵」が違うからである。
(敗戦後に)右翼としての新しい門出を考えたとき、エネルギーとすべきは「反共」だった。戦には敗れても、社会主義革命によって日本が日本でなくなることは避けねばならなかったのだ。社会主義(あるいはその発展形の共産主義)は、天皇を否定する。伝統よりも進歩を重視する。革命歌の「インターナショナル」に象徴されるように、国際連帯が国益以上に重視される(中略)。右翼にとっては、国を守るためにも、社会主義・共産主義は断じて許容できるものではなかった。〝容共〟は国家の否定にもつながるのだ。
そのためには「鬼畜」であった米国にもすり寄った。いや、右翼は右翼の論理に従い、未来の「自立」を念頭に米国の「利用」を考えた。社会主義革命から日本を守るために、天皇の温存に加担した米国を、ぎりぎりのところで「味方」だと判断したのだ。
安田浩一『「右翼」の戦後史』より
要するに右翼の親米性とは、戦後の国内外における政治勢力の配置に対する安全保障上の戦略であったということだ。であるならば、勢力図の変更に伴ってスタンスが変わることはあり得る。そして、それは実際に起こりかけた。敗戦直後の右翼が夢見たアメリカ合衆国からの「自立」が、手の届くビジョンとして眼前に迫った瞬間があったのだ。それはちょうど平成という時代が始まった頃のことだ。この頃の勢力図は大まかに言って以下のようなものだった。
この土壌の中から共通の思想傾向を持った一連のフィクションが出てくる。それは特にロボットものやミリタリーサスペンス、SFといった仮想的政治状況を描きやすいジャンルにおいてであり、この時代に花開きつつあったアニメや漫画、ゲーム、ライトノベル、つまるところオタク文化と密接に関わりあっていた。そこで表現された思想とは端的に言えば反米右翼思想。より具体的には重武装、対米独立、自主外交。さらに広がってアジア主義、靖国史観、反資本主義、そして天皇制にまで広がる問題系を形成していた。『コードギアス』はこの系譜の中に位置付けられる作品なのである。
以上が本連載(予定)の主題「平成オタク文化と反米右翼思想」の概要である。自分は令和より平成の作品に親和性があって履修作品もそちらに偏りがちなのだが、この時代のSF小説やロボットアニメには明らかに共通の思想傾向がある。ところが、こうした傾向についてまとめた書籍や論考を自分は見たことがない*6。いつかまとめてみようと漠然と考えていたが、どうにも面倒で動くことができなかった。
転機になったのが『奪還のロゼ』と『勇気爆発バーンブレイバーン』だ。この二作品は令和のロボットアニメである。先述のように平成の反米右翼思想が当時の政治状況に対する右翼の戦略に由来するものであった以上、令和には令和の思想があるはずだ。少なくともロシアがウクライナに侵攻し中国が覇権主義的な行動に出る昨今、アメリカ覇権主義への批判が平成のときほど盛んであるとは思われない。というより、反米右翼思想は10年代から急速に低調となっていくのだ。そして20年代も半分に達しようかという今年、新たに公開された先述の二作にはそれなりの「答え」がある。それも行く行くはまとめたい。

最後にちゃぶ台をひっくり返すようなことを言ってしまおう。実は『コードギアス』のストーリーにおいて、ここまで述べてきたような政治的設定はエンタメの道具でしかない。それが本稿序盤で述べたルルーシュとカレンの間にある「ズレ」、ギアスのエンタメとしての核なのだ。半分ブリタニア人でありながら日本人として日本解放のため戦っているカレンと違い、ルルーシュにとって日本解放は手段に過ぎない。彼の目的はあくまで復讐と妹の安全にある。特攻に繋がるような熱烈な愛国意識を道具とすることに躊躇のない、ルルーシュという男の強烈なエゴイズム。それが本作の主題*7であり、平成が遠くに過ぎ去っても本作が支持を失っていない理由だろう*8。
ではルルーシュとカレンを合わせたサクヤの目標は? それは劇上に行って自分の目で確かめて欲しい! 今ならバルト9で三幕まで一気見できるぞ!!
*1:『奪還のロゼ』と同じ連作映画形式のギアス外伝。作画は良い。
*2:バンナムがプラモをゴリ押しするも大爆死。ヨドバシに大量の在庫が積まれていたのが記憶に新しい。本連載(予定)のテーマにも関わる。
*3:ただしギアス世界の皇家は現実の天皇家とは異なる部分も多く、本連載(予定)で触れる他作品の擬似天皇制のような国体的感覚は本作にはあまり見られない。
*4:同様にナショナリズム的な左翼も珍しい存在ではない。そもそも右翼、左翼という言葉の源流になったフランス革命において左翼とはナショナリストのことであった
*5:ソ連や中国の果たした役割も小さくはないが、アメリカが最大の敵であったことを否定するものはいないだろう。
*6:オタク(≒ネット)文化と右翼思想の関係については色々本があるが、主題は大抵「嫌韓・嫌中」である。これは恐らく反米右翼思想がフィクションを主な表現の場としてきたことと関係がある。
*7:これゆえ、ナショナリズムを主題と見る大澤の主張は的外れだ。
*8:以上の事実は本連載(予定)の趣旨とも関わる。本連載(予定)で取り扱う作品は、必ずしも反米や国粋を作品の主題とするものではない。むしろ思想は都合のいい設定、カッコいい機体デザインのようなものである場合がほとんどだ。
モンハンのエコロジー――世界観の根本問題について
『モンスターハンターワールド:アイスボーン』*1をマスター級の最終クエストまでクリアした。プレイ時間は七十時間。一ヶ月弱の長きに渡る戦いだったが、最終盤以外は飽きずにやれたと思う。
一応、自分にとってモンハンは小学生の頃から触れている馴染み深いタイトルだ。しかし高校以降はゲームと縁を切っていたため、本作は『MH4』以来十年ぶりとなる狩りだった。十年も経てばゲームのハードは二周りくらい進歩するもので、往年のモンハンの骨子を残しつつも快適性とリアリティを著しく向上させた本作は、もはや別ゲーと言って良いほどのクオリティを実現していた。美麗なグラフィック、シームレスで立体的なマップ、簡略化された採集モーション、ピッケルや竿の上限撤廃、環境生物に環境ギミック……と、例を挙げればキリがない。
しかし本稿で論じるのはこれらゲームシステムではない。
従来のモンハンから大きく進化したもう一つの要素、即ちストーリーについてである。
以下、『MHW:IB』の結末までガッツリとネタバレする。望まざるものはタブを閉じよ。
- 強度の高いストーリー
- 『MHW:IB』のストーリー
- ストーリーの評価
- ストーリー最大の批判点——調和の論理
- 世界観の根本問題について
- 自然の中の二つの異物—―人間と古龍
- 終わりに——今後のモンハンの展開に向けて
強度の高いストーリー
『MHW』で最も感動した点は何か。そう聞かれれば自分は「ストーリーの強度が上がったことだ」と応える。無論、従来のモンハン*2にもストーリーと呼べるものはあった。ただ、本作のストーリーは従来のシリーズ作品のそれとは「強度」が違うのだ。どういうことか。
モンハンはアクションゲームである。そのゲームとしての骨子はあくまでアクションや協力プレイにある。ストーリーの役目はその補完、つまりアクションを成り立たせる舞台装置たることだ。豊富で独特な設定はフレーバーテキストや資料集で匂わせられるに留まる。考察厨は落ち穂のような設定の断片をかき集め、モンスターハンター大辞典Wikiの世界観カテゴリを日夜充実させている。
ところが『MHW:IB』のストーリーは世界観と強く結び付いており、極めて強力な筋を持っていた。従来作品との違いは主人公の立場一つを取っても明らかだ。従来の主人公はギルドに加入したばかりの新米ハンターだったが、本作の主人公はギルドに選び抜かれたエリートである。また前者が舞台となる村やキャラバンで身近な問題の解決を積み重ねていくのに対し、後者は「古龍渡り」の謎の解明という明確な目標を追求していく。そして、この謎が解き明かされたとき、モンハン世界の根幹に関わる重要な設定が明らかとなる構造になっているのだ。『MH4』などでも「狂竜病」の謎がストーリーを牽引していたが、『MHW』のストーリーがその仕掛けの複雑さと壮大さ、要するに「強度」において従来作と一線を画していることはプレイヤーなら同意してくれるだろう。
『MHW:IB』のストーリー
ここで一度、本作のストーリーを整理しておこう。繰り返しになるが思い切りネタバレするので注意されよ。
『MHW:IB』のストーリーは波に揺れる船の中から始まる。向かう先は未開の新大陸。船中にはハンターや職人、学者、アイルー達が満載されていた。彼らはハンターズギルドに選び抜かれた精鋭「新大陸古龍調査団」である。その目的は「古龍渡り」の謎を解明すること。古龍渡り——十年に一度起こる、現大陸から新大陸*3への古龍の大移動。調査が始まって数十年経つ現在においても、そのメカニズムは明らかとなっていない。此度の調査団派遣は五度目。プレイヤーは新しく派遣された五期団推薦組のハンターだ。
と、ここまでが導入部。この後、船が超巨大古龍ゾラ・マグダラオスによって転覆させられるというハプニングに見舞われ、プレイヤーの操作パートが始まる。受付嬢とともに古代樹の森に降り立ったプレイヤーは、そこから調査団の拠点を目指してフィールドを探索していく。
以降のストーリーはかいつまんで述べる。
調査団の当面の目的は此度の「渡り」を実行した古龍ゾラ・マグダラオスの追跡調査に定まる。その進行ルートを分析して目的地を予測し、中途で進行阻止と捕獲を試みるも失敗し……ということを行なっているうちに「古龍渡り」の真相が明らかになる。
「古龍渡り」とは死期を悟った古龍が死に場所を求めて行う移動だったのだ。 下位クエスト後半で新たに行けるようになるフィールド「瘴気の谷」には巨大古龍の骨が大量に散らばっている。そこが彼らの墓場であり、その遺骸の持つ莫大なエネルギーが谷の上層に「陸珊瑚の台地」を育む。つまり新大陸の生態系は「古龍渡り」によって支えられており、プレイヤーが調査してきたフィールド自体がこの巨大な生態系の一環を成していたわけだ。
その後もストーリーは色々と展開していくのだが、本稿と関係のある範囲はここまでだ。
ストーリーの評価
このストーリーだが、自分ははっきり言ってかなり面白いと思った。この初代オープニングムービー(3:00~)からも分かるように、モンハンはシリーズ最初期から「生態系」を大きなテーマとしている。
草食竜アプトノスを鳥竜ランポスが襲い、飛竜リオレウスが横取りし、それをハンターが狩る……。食物連鎖が織り上げる雄大な自然の秩序。モンハンの世界観がただ竜が火を吐くだけのファンタジーとは異なっているのは、こうした生態系の感覚が通底しているが故だろう。
『MHW:IB』はそうした独自の世界観をしっかり掘り下げ、ゲーム体験としてプレイヤーに提示することに成功している。特に自分の探索してきたフィールド自体が生態系の一角だったという仕掛けには驚かされた。「瘴気の谷」を探索していると「陸珊瑚の台地」のモンスターの死骸が落下してきたりするのだ。そして何よりネルギガンテの存在。古龍を食う古龍の正体が新大陸の生態系の「調整弁」だという結末のスマートさは、マスター級終盤の演出もあって天晴れという他ない。「これはエコロジーSFだ!」と言いたくなるようなクオリティだった。
捕食行動や縄張り争いなど、モンハンはこれまでも世界観の表現とゲーム性を利用立させた独自のシステムを採用してきた。本作はその一個の到達点であるようにさえ思う。
ところが調べてみると本作のストーリーの評判が芳しくないことに気付く。特に批判されているのは「受付ジョー」*4と「調和団」である。というわけで特に本稿に関係のある後者について解説しよう。
ストーリー最大の批判点——調和の論理
本作で頻出するタームがある。「調和」である。以下に作中での使用例を挙げよう。
調和を目指す者、それがハンターだ。
討伐でも全滅でもない、別の道を選択しよう。それは、調和の道。
極めて曖昧模糊たる言い回しだが、要する「自然のバランスに配慮して良い感じを目指す」というくらいの意味である。この言葉の背景にあるのはハンターについての設定だ。彼らは私欲や私怨で好き勝手にモンスターを狩猟しているわけではない。その活動はギルドによって厳格に統制されている。モンスターの狩猟数は小型モンスターの一体に至るまでカウントして届け出さねばならないし、狩猟対象になるのも増えすぎて生態系に悪影響を与えるモンスターや人間にとって大きな脅威となるモンスターだけである*5。故にハンターは「調和を目指す」。非常にわかりやすい。問題は、この設定と本作中の彼ら調査団の行動が一貫していないように思えることだ。
クルルヤック:キャンプ設営の邪魔になるという理由で調和
パオウルムー:気球の材料にするため調和
アンジャナフ:アステラの周りをウロウロしていたので調和
ネルギガンテ:古竜が暴れている原因と目されて調和(後に冤罪と判明)
ヴァルハザク:新種という理由で調和
本作のストーリーに対するプレイヤーのツッコミが分かりやすく表現されている*6。ちなみにここでの「調和」とは当然「狩猟」を指す。
早い話が「調和とか言いつつ自分たちの都合でモンスターを殺戮しとるやんけ」というツッコミだ。
無論、先述のようにハンターの狩猟はギルドに届け出されているわけで、調査団の活動といえど例外ではないはずだ。しかし、新大陸の生態系や環境には明らかになっていない部分も多い中、飛竜種などの頂点捕食者を軽率に狩猟してしまうのは如何なものか。また「新大陸では未確認のモンスターだ!」→「調和」というスピード感のある展開には「お前ら狩猟以外の調査方法知らんのか」と突っ込まざるを得ない。そもそも彼らは人間がほぼ住んでいない新大陸へ渡った一種の開拓移民であり、その生活のために周辺のモンスターを狩っていく様は侵略的外来種そのものにも見える。こんな理由で新大陸古龍調査団は調和団という蔑称を与えられることになった。
とまあ、色々書いてきたが、この辺はアクションという本作のジャンル上仕方ない部分ではあると思う。逆に聞くが、ひたすら釣りとか虫取りとかしたり、部位破壊した時点でクエストクリアになるモンハンがやりたいか?
なのでこれらの問題は措いておくとしても、本作にはより根本的な、世界設定の内的矛盾とでも呼ぶべき問題がある。というわけで、ようやく本題だ。
世界観の根本問題について
『MHW』本編のストーリーをクリアすると大規模拡張コンテンツ『IB』のストーリーが始まる。新フィールドに新モンスター、新たなクエスト難易度「マスター級」の解放など大ボリュームの拡張版で、従来作品ならば「G級」と呼ばれていたコンテンツである。
この『IB』のメインモンスターが冰龍イヴェルカーナという古龍だ。全身に氷を纏うモンスターで、古龍種の例に漏れない強大な力により周囲の環境を激変させる。このモンスターが本来の生息地である「渡りの果ての凍て地」から抜け出し、あちこちに飛来して環境を激変させているという問題が『IB』ストーリーの骨子である。本来は温暖湿潤な気候だった地域にも氷が降り、各地で未確認の大型モンスターが異変を察知して暴れ始める。さらに気候の激変により調査団拠点も食糧危機に陥る。
流石にここまで来れば討伐すべきという話になりそうなものだが、なぜか調査団の面々は「自分たちは現大陸へ帰るべきなのか……」と弱気なことを言い出す。この辺の展開はほんまに何なのという感じだが*7問題は次だ。ここで調査班リーダーから本作でも特に物議を醸す迷台詞が飛び出す。
俺たちも生態系の一部なんじゃないかな。
人間だって生態系の一部だ。だから足掻いたって良いんだ。この論理で一致団結した調査団はイヴェルカーナの討伐へと突き進んでいく……のだが、ネットを見る限りこの展開は批判どころか嘲笑の対象となっているようだ。まあ実際、先述のように調査団は侵略的外来種のようなもんだから、開き直りも甚だしいというか盗人猛々しいというか。そういうことを思われても仕方ない。
しかし自分は、ここにこそ現時点のモンハン世界が抱える根本問題が表出していると考える。それは本作のキーワード「調和」がスベり散らかしていることにも通ずる。
モンハン世界の「あるべき姿」=「自然」像が固まっていないという問題である。
「調和」という言葉は目指すべき何らかの理想像を措定する。ハンターが何を目指すのであれ、まず目指すべき世界の形が定まっていなければ話にならない。それは「自然」と呼ぶこともできるだろう。しかしモンハン世界の「自然」には二つの異物が存在する。人間と古龍である。
自然の中の二つの異物—―人間と古龍
まず人間について考えよう。人間は自然の一部か否か。これは立場によって意見の分かれるところだろう。自分の直観のみで話をすれば、摩天楼の並ぶ巨大都市は自然とは思えない。一方、熊を狩る狩猟採集民族の集落は自然であると言っていいような気もする。無論、ホモサピエンスが介入した時点で自然ではないという立場も、弾道ミサイルだって自然であるという立場も、極論ではあるがあり得るだろう。いずれにせよ自然であるか否かは文明化の度合いによって相対的に決まる。
ところがモンハン世界の文明の水準はというと、これがよくわからない。生物の骨から作った武具で狩猟をやっていると書けば石器時代並みに思えるが、あの世界には大砲やら蒸気機関やらも存在している。そもそも自然の強大さが我々の住む世界とは桁違いであるし、また自然から入手可能な素材の有用性についてもそうだ*8。あんな世界で「自然」を語るには、まずあの世界の住民の「自然」観を宗教レベルで詰める必要があるだろう。でなければ調和など語れぬはずだ。
次に古龍について。火を吐く竜が出ても魔法は出ないのがモンハン世界の特色である。火を吐くリオレウスの体内には火炎袋という臓器がある。その生物学的な妥当性はともかく、超常現象を引き起こす生物が存在しないモンハン世界は我々の世界に近しい法則を持っている。そして、古龍種はこの法則の外側にはみ出す存在としてデザインされている。火炎袋を持たずに火をまとい、羽ばたくことなく風を起こし、天空から雷を落とす。たった一個体で環境に甚大な変化を起こし、ときには世界滅亡の危機を招くこともある。こういう生物は現実には存在しない。そもそも自分が拠って立つ生態系の冗長性を超える生態を持つ生物種など、自然淘汰の論理からして存在できないだろう。空想上のドラゴンに近い骨格からも分かるように、古龍種は準ファンタジー世界であるモンハンに意図的に混ぜられたファンタジーなのだ。
ここから当然次のような疑問が湧いてくる。古龍は「自然」なのだろうか。確かに古龍は人間とは異なる生物だが、その存在自体が災害のようなものであり、尋常の生態系の内側に収まっているようには思われない。敢えて言うなら、彼らは自然でありながら自然の外に立っている。そんな存在が生態系に甚大な被害を与えたとき、「調和」を目指すハンターは何をなすべきか。古龍の破壊を放置すべきか。討伐すべきか。つまりそこで想定されるべき「自然」とは何か。モンハン世界が準ファンタジーであるからこそ、完全なファンタジーである古龍種はかような問いを引き起こす。
人間と古龍というモンハン世界の二つの非自然。両社が生存競争を行なったのがイヴェルカーナの騒動である。そこでは上記の問題が二つとも、最も鮮烈な形で現れている。つまりあるべき「自然」像が四分五裂しているわけで、そんな中で「調和」だのなんだの言ってもまともな結論は得られない。どんな行動を取ってもプレイヤーが納得しないのは自明であり、「俺たちも自然の一部なんじゃないかな」は始めから破綻することを運命付けられていたのである。
終わりに——今後のモンハンの展開に向けて
自分はモンハンをアクションというより世界観として楽しんでいるクチである。分厚い公式設定資料集は中学生の頃に買ったし、当時はモンハン大辞典も読み漁っていた。そんな自分からすれば『MHW:IB』のストーリーは極めて満足のいくものだったが、世間の評判は頗る悪い。このギャップについて考えている間に生まれたのが本稿だ。蓋を開けてみれば、世界観への拘りが強すぎてストーリーを軽んじる自分のいつもの悪癖が原因だったのだが、さらに突き詰めてみればモンハン世界の「自然」像という予想外の問題につながった。
これはCAPCOMに限った話ではないが、今の日本のゲーム会社は自社IPの強化に躍起になっている。ゲームの大規模化に伴って完全新規タイトルのリスクが巨大化し、シリーズものや人気IPの資産的価値が相対的に大きくなっているからだ。モンハンがストーリーやキャラ方面に舵を切ったのもそれが理由だろうが、本シリーズが今後もこのようなシリアス路線を続けるなら本稿で論じた問題は避けては通れない*9。というのも、何度も言ったようにモンハンのテーマは生態系であり、エコロジーという極めて現代的な問題と密接に関わっているからだ。アクションゲームとしての質の追求はともかく、ストーリーも一級のものにするならエコロジズム盛んな海外の批評に堪え得るだけの論理が必要だろう*10。雑に「調和」とか言っているようでは話にならない。
随分と長くなってしまった。初めてのブログ記事なので許して欲しい。
最近はずっとアクションゲームをやっていたので、この辺で一度ストーリーゲーをやりたいものだ。
*1:以下『MHW:IB』と略す。シリーズ作品も同様の略式表記に則る。
*2:前述のように自分はシリーズを『MH4』までしかプレイしていない。よって本稿で用いられる「従来のモンハン」等の言葉は『MH4』までを指すと思って欲しい。
*3:ちなみにモンハンにおける「新大陸」というワードには複雑な背景がある。以下参照→ モンハン用語/新大陸 - モンスターハンター大辞典 Wiki* 。本稿の「新大陸」は当然ながら公式用語の方である。
*4::受付嬢のこと。主人公を危機に巻き込む無鉄砲な行動が多すぎてこんな蔑称がついた。自分は結構好きなんだが。
*5:少なくとも設定上はそうという話で、ゲームでは装備を作るため希少なモンスターを乱獲することになる。
*6:まとめサイトからの孫引きだが許せ。 出典→【MHWアイスボーン】各モンスターが調和された理由一覧ww【モンハンワールドアイスボーン】 | アクションゲーム速報
*7:まあメタいことを言うと勝負の前に何らかの挫折(感)を設けて奮闘と再起を描く必要があったのだろうが。本作、世界設定はともかくストーリーはシンプルにあんま上手くねえなと思わせられることが多い。
*8:そこら辺の草と石から弾丸が調合できるなど
*9:幸いRiseの双子姉妹はヒットさせることに成功したようだし、キャラ萌えゲーにしてしまえばええやんと思わなくもない。まあ本作のヒロインの評判は散々だが。
*10:別に人新生をやっていけという話ではない。反論するにせよ別案を提示するにせよ、論理の構築は必要だという話である。